岡田清治(おかだ・せいじ)
●ジャーナリスト
● 得意分野:取材、企画、編集、デジカメ撮影、写真加工、テープ起し
(評伝、ルポ取材、インタビュー、人間(サラリーマン)にまつわる企画など)
●E−mail okada007@sea.plala.or.jp
【執筆実績】
★季刊情報誌『Brain Trust』企画原稿
★『大商ニュース』(発行:大阪商工会議所)「核心を聞く」、「流れを読む」
★月刊誌『商工会』(発行:株式会社全国商工出版サービス)「巻頭コラム」
(森永卓郎氏、加来耕三氏と輪番で執筆)
★ 大手企業の『社内報』の特集記事など
★ 月刊誌『TARU』(発行:たる出版株式会社)「関西の風」
★ 日本医療企画の月刊誌『ホスピタウン』に名医取材、執筆
【最近の経歴】
●季刊情報誌『Brain Trust』(名古屋)編集長
●NPO法人WS西日本(大阪)元共同代表 http://www.ws-w.jp
●NPO法人マスコミ駆け込みクラブ(東京)理事
http://www.masukomi-kakekomi.com
●NET108(NETテン・エイト、東大阪)代表、企画、編集、取材、執筆グループ運営のほか、
HP:「人生道場―独人房(どくじんぼう)」(個人のHPで日記を執筆、意見発表)
http://www15.plala.or.jp/NET108/
●ニュースリリース製作・発信事業(大阪商工会議所・共同通信ワイヤー・NPO法人WS西日本3社の共同事業):元担当
【略歴】
●1942年(昭和17年)9月3日、大阪市内に生まれる
●1966年(昭和41年) 同志社大学工学部卒、在学中、同志社アーモスト館(新島襄卒業の米国アーモスト大学が寄贈した特殊寮)に在籍、大学公募論文で『新島襄と科学』で特別賞授与。
●職歴:日刊工業新聞記者、流通サービス新聞編集長、出版書籍部長、編集局長、取締役大阪支社長、2003年
6月特別顧問退任
●系譜:父は直木賞作家・岡田誠三、祖父は陽明学者の岡田播陽
【 著書】
『守成の経営』(PHP研究所,京都の老舗経営)
『守破離の経営』(現代創造社、帝人の大屋晋三社長死後のドラマ)
『しんぼうの木は実る』(現代創造社、椿本チェーン中興の祖、大阪商人の源流)
『アートテクノ サントリーの技道』(日刊工業新聞、技術者物語)
『永遠の1号 海軍兵学校最後の1号生』(日刊工業新聞、敗戦後、海兵から企業社長に上りつめた7人の人生ドラマ)
『リヨンで見た虹 稲畑勝太郎評伝』(日刊工業新聞、日本に映画を持ってきた男)
『バイオの世界』(日刊工業新聞、共著)
『熱―現状打破のジョイフル創業期』(出版文化社、ファミレス・ジョイフル創業者、穴見保雄の評伝)
『こころの遺言書』(ケイ・アソシエイツ、河内誠一のゴーストライター)
その他論文、講演記録多数。人間探求がライフワーク
●評伝が得意分野で、吉忠(京都)、渡辺病院(名古屋)、山本光学(大阪)、赤福(伊勢市)、西利(京都)、ワタミ(東京)、無茶々園(愛媛)、光生会(岸和田、高野山)、東海バネ工業(大阪),、関西メディカルネット(京都)、PHP(京都)のほか多数。
上記以外の・実績:雑誌『PHP』商品開発物語、雑誌『道経塾』、雑誌『クオリティマネージメント』など、執筆。
・企業家フォーラム(学会)で「企業永続の秘訣ー守成の経営」(2004年7月発表)
・大阪サイエンスクラブ『会報』(209)に「地球深部探査船“ちきゅう”見学記
・神戸大大学医学部(膠原病研究グループ)、農学部(大麦バイオ研究グループ)研究取材等ほか、水素プラント、PSD、経営会議
・松下電器・松下正治氏、シャープ・佐々木正氏、京セラ・稲盛和夫氏等、「大阪企業家ミュージアム」の ビデオライブラリーのインタビューアー務める
大阪サイエンスクラブ『会報』(217)に「南半球の視点」
【 講 演 】
オリックス広報グループ、中小企業金融公庫、大阪府、兵庫工業会、姫路商工会議所、相生商工会議所、幕張結婚メッセ、千葉労働監督署、大津商工会議所、草津商工会議所、島津製作所役員会、関西化学工業協会、大阪産業人クラブ、彦根商工会議所、粉体工業会、関西発明協会、住友化学広報グループ、大阪北ロータリークラブ、香川、広島新聞販売店協会、明石産業振興協会、企業広報協会、皮革産業協会、滋賀縫製協会、企業家研究フォーラム、建設会社、京都放送、ナカテック、カオスの会、北大阪商工会議所、赤穂商工会議所
●連絡先:携帯:090−7091−1199 岡田清治 E−mail:okada007@sea.plala.or.jp
●
現有の企画
@「人の死を迎えてー死にまつわるドキュメント」A「雑誌・評伝まとめ」B「ニューギニア戦地再訪記(予定)」B「サラリーマン生き方」など。
以上
●伝言板
●日記(1月9日)で紹介しました元外交官、七尾清彦氏のHPです。
シヴィック・エクスペリエンス活動
http://civex.org
●2月8日の日記で紹介しました平松氏のHPです。
神楽坂まちの手帖編集長平松南の編集者人生、神楽坂人生がロングインタビューで詳しくキャリナビにアップされました。
URL:http://www.melma.com/mag/38/m00084738/a00000061.html
●東京ライターズバンクSさんのメルマガ(無料)です、ご購読ください。
http://www.mag2.com/m/0000156302.html
「世界中で教会、神社、寺院のどれをとっても、これほど密集している場所はほかにない。生国魂神社から四天王寺一帯を“夕陽丘”という地名で分るように西に望む海に沈む美しい夕陽を西方浄土として拝む最適地だった。法然上人もかつて後白河法皇とご一緒に一心寺の地から見事な夕陽を観られた。」(高田恭行・一心寺長老)と話す。当時から夕陽を観る地として寺院が集まり人々が詣でた。
同じ上町台地でも生野区の住民の四人に一人は韓国・朝鮮籍をもつ人々の住むコリアタウンから見る寺町は「天国に見えます。」(宋悟・コリアNGOセンター代表)と語るように江戸中期の名刹が建ち並ぶ。寺院の多くの創建は豊臣方が徳川家康に敗北を期した夏の陣、一六一五年以降だが、先の戦争でこの周辺も焼け野原になった。だが、八十六体もの仏が焼け残ったという。戦後、厳しい状況下で檀家の支援もあって再建、復興したそうだ。
いまの仏教は葬式仏教としての役割しかないと揶揄されて久しい。その葬式も戒名、墓の問題を含め社会問題化しているほど、日本人の仏教離れが進行している。そうした時代背景の中で、この寺町の南端にある一心寺と、北端の慶典院は異色な活動の場を提供する寺だ。一心寺は納骨された骨で十年毎に一体の仏を造立している宗派を問わない“お骨佛”の寺として庶民に親しまれている。平成六年に発足、十四年六月に装いも新たに再スタートした「一心寺シアター倶楽」は演劇を中心に落語、浪曲など多種多様の文化活動を行っている。建築家としての顔をもつ一心寺長老の高田氏は、寺町から天王寺公園を含む緑地沿道約二・二qを「茶臼山・夕陽丘プロムナード」と名付けた歴史の散歩道構想として提案、行政、市民に働きかけている。
一方、北端に位置する大連寺の別坊である慶典院は墓も檀家もなく葬式も布教活動も行わない会員制のユニークな寺だ。平成九年に完成したコンクリートの打ちっぱなしの劇場型本堂ホールで演劇のほか芸術文化、介護・福祉や教育シンポ等の活動をNPOやアーティストと協力し合って催し生きた仏教活動を行っている。「寺はかつてから学び、癒し、楽しみの原点です。」と秋田光彦住職は活動趣旨について語る。
昨年、この寺町を舞台に「極楽ストーリー」と銘打って歴史資源を見直す町おこしイベントが行われ、インド様式の本堂をもつ心光寺、法然上人開祖の一心寺、壮大な寺院建築の大覚寺、そして年間三万人の若者が集う慶典院の僧侶たちが生の声で「寺町」を語った。それはまさに現世、極楽浄土を目指しているように見える。極楽に行けるかどうかは、それを思い、信じるしかないのだが・・・。
(出典:雑誌「TARU」2005年2月号関西の風)
NPO法人WS西日本会員 岡田清治
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●大商ニュース
もうすぐ春の訪れだ。春になると約束したように春の三ヶ月間(三春)、野山に花が咲く。その花を
求めて野山を高齢者カメラマンンが三脚に望遠レンズをつけて歩き回るグループが目立つ。とくに
女性が多い。誰もが人生で生涯の恩人に出会うように、自分の好きな花を見つける。
一枝独向雪中開(梅舒適)=いっし、ひとりゆきにむかいて、ひらく
梅は他の花に先駆けて雪の中に向かって一番に花開くという。雪といえば、雪割草(ゆきわりそう)
もいい。長い冬の間、雪の下でじっと耐え、春の陽光を浴びるころ雪解けのすき間から明るい展望を
示唆するように可憐な花をのぞかせる。
私は十年ほど前に出会ったカタクリのとりこになった。毎年、カタクリで村起こしとして取り組んでいる
兵庫県・氷上町の山村に宝石のようなうす赤紫の可憐な花に会うために出かける。カタクリは種子から開花
するまでの期間は八年から十年はかかる。それもブナなど落葉樹林のほとりで腐葉土と適度な湿地そして
薄日さす日当たりの条件が揃う場所でないと群生しない。しかも、開花期間は一週間から十日、それも
午前十時ごろから正午過ぎまで、きわめて短い。
カタクリサミットが新潟県安塚町雪だるま高原で平成十五年四月に初めて開かれた。これはカタクリ
研究者の河野昭一・京大名誉教授の提唱によるもので、全国の自然愛好家、団体、自治体関係者約二百名
がカタクリの美しさを通じて自然環境を考えようという趣旨で開かれた。昨年は秋田県西木村で開催された。
河野昭一教授によれば「カタクリはユリ科の花で、スプリング・エフェメラル(春の短い命)ともいわれ、
日本列島および北東アジアには一種、ユーラシア大陸に四種、北アメリカ大陸には二十五種と、世界中で
咲く」と言う。
「カタクリと日本人の付き合いは万葉の昔からあった。−もののふの八十乙女らが汲みまがふ寺井
の上の堅香子(カタカゴ)の花―大伴家持の歌にあるように、雪深く、暗く寒い冬から開放された春の落葉樹林の
ほとりで、赤紫の鮮やかな花びらをうつ向きかげんに堅香子=カタクリの花が一面に咲きほころんでいる。そのそば
で寺の井戸水を汲みかう乙女たちが、にぎにぎしくお喋りして,パッと明るくなった北国の情景が浮かぶ」と、
河野教授は説明する。
カタクリサミットが開かれた安塚の人は「昔は山菜採りでカタクリをおひたしにして食べた」と参加者を
驚かせたが、その昔、根っこの芋でトロミをつける片栗粉として用いられたことは知られている。
山鹿の好物らしく時々、群生地が荒らされている報告も聞く。カタクリの魅力は弱々しい細長い茎に目一杯小さな花びらをユリのように反らして陽光を浴びる姿に、いとおしさを覚えるところにあるのだろう。
『かたくり草』(作詞・作曲 影澤藤峰)を歌手の島智香子がサミットで披露した。
一度ふまれて倒れても/愛と情けでよみ返り/下を向いては咲くけれど/幸せさかそうかたくり草
カタクリの花を見て元気と清純さをもらってください。(月刊『商工会』3月号巻頭コラム・岡田清治
止